大きなものに触れているようで

懐かしく身近なものに触れていた

 

悲しみに触れているようで

さいわいに触れていた

 

とてもフラットな気持ちで観たのに

このなんとも言えない気持ちはどこから来るんだろう

「とにかく感じて欲しい」と言われていた数時間。

深刻なような、微笑ましいような、泣き出したくなるような、安心するような。

走り抜いたからだが受け取ったのは、生の営みの温かさ。

 

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8月の古都は暑い。

梵さんに会うのは大学卒業以来、4年ぶりのことだった。

早めに着いた映画館でおにぎりを食べていた。

私は少しだけ緊張していた。

そわそわとした心持ちで椅子に座っていると

スーツケースにリュック、バンダナ姿の男性が現れる。

 

石川梵さん、私の尊敬する写真家の1人である。

大学生の頃に町田にあるカフェギャラリーに出入りしていた私は

そこで梵さんに出会った。

いつもお昼ご飯を食べながら本の原稿を書いているおじさん。

たまに見かけると愛犬と散歩している近所のおじさん。

挨拶するといつもニコニコと朗らかで爽やかないい感じのするおじさん。

 

梵さんが撮っているのは、ドキュメンタリー写真だった。

それは写真をはじめて間もなかった私には、

距離のあるもの、ピンとこないものだったけれど

雑誌の連載を本屋でチェックしたり、

梵さんが開くファイルからのぞく景色をポカンと眺めたり、

「いい間」としか言いようのない心地の良いテンポで話すその話に耳を傾けている間、

この目の前でニコニコしているおじさんが

何かすごいエネルギーや力の渦に飛び込むことのできるタフさを持っている人なのだ

私の見たことないものあらゆるたくさんのものを見てきた人なのだ

私の歩いたことのない影や光の中を歩いてきた人なのだと肌で感じ取っていた。

私には梵さんを縁取っているその輪郭がわからなかった。

いつも畏怖にも似た気持ちを抱いていた。

 

会わない4年の間に、気付いたら梵さんは映画を撮っていた。

「世界でいちばん美しい村」と題されたその映画は

震災が起こったネパールの震源地近くの村を舞台にしたドキュメンタリー映画だった。

復興をテーマにしたよくある映画ではなかった。

全編通して梵さんの追い続けているものが、画面のどこをみてもふんだんに散りばめられていた。

それは祈りであったり、かみさまであったり、

それが繋いでいる人々の緩やかで、けれども強い絆のようなものであったりした。

祈りは声を聴くこと。そっと耳を澄ませることだ。

かみさまはあらゆるところに宿っている。

大きな森に、雨季に止むことなく降り続く雨に、

生贄にされた生き物たちに、死者を想い流す涙に、誰ともなく始まるその踊りに、

それに抗うことなく沿って生きようとしている人全ての目に。

 

私たちが忘れかけている景色を見たような気がした。

すっと呼吸を忘れてしまいそうな、そして取り戻すような感覚を何度か味わった。

画面の向こうにあったのは悲惨な状況下に置かれた異国の地ではなく、

私たちが忘れてはいけないもの、本当は大切にしたいもの、かけがえのないもの。

見たことのない風景ではなく、いつか見たことのある懐かしい風景だった。

 

 

すっかり打ちのめされた私は、もう写真をやめたいと思っていた。

絶望的なことに、同じくらい写真を撮りたいとも思っていた。

それは行動している人の作ったものに触れた時に感じるあの独特な感じだった。

「お前はこれからどうするんだ?」と突きつけられているような。

「お前にとって撮ること、書くこととはなんだ?」と言われているような。

そこにはもう認められたいだとか、上手なものが作りたいという

自分から発せられる願いはなかった。

「あなたに何ができるのか」

そのただ一つの問いが纏う深遠さ、息深さに潰されてしまいそうだった。

 

夜に全ての予定を終えた梵さんに会うことができた。

写真が撮りたい

「でもね、梵さん、私の写真はとても空っぽに思える。」

口から、そうこぼれた。

ケラケラと笑いながら、ほとんど泣き出しそうだった。

短い時間の中で色々なことを話した。

私が必要に駆られて写真をはじめたこと、続けてきたこと。

写真を撮る時にいつも頭の隅っこにあるもの。

梵さんにも問いかける。

梵さんは穏やかだった。この受け入れ方はこの人にしかできないと思った。

安心で、安心で、自分の言葉のおぼつかなさも気にならなかった。

 

自分に何ができるだろうと考えて、全て救おうとするとその人は潰れてしまう。

圧倒されて、打ちのめされて、差し伸べようとする手を引っ込めてしまう。

「だから、まずは一人のためになることを考えるんだよ」

戦場に行き、被災地に飛び、様々なコミュニティに飛び込んで生きてきた一人の人間の生の声だった。

初めて梵さんの輪郭に触れた気がした。

ああ、梵さんみたいに私にとっては壮大に思えるようなことをやってのけている人でも、

最小であり最大の単位はそこなのだと痛く感じた。

心が大きく震える音がした。

 

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今も私は、この手が何を叶えられるんだろうと問うたあの日を忘れていない。

いったい私がどれだけのことを見られるのだろうと泣いたあの日を忘れていない。

 

映画を観終わってからの数時間、

夏休みの土曜日で賑わう水族館の端っこに腰をかけて気が付いたらボロボロと泣いていた。

いろんな感情がごたごたと煮え繰り返っていた。

涼しい館内で、抱きすくめた自分の体はちっぽけで熱かった。